
※イラストは本編と全く関係ございません。
「あ、私はノンアルコールのビールでお願いします」
いつからだろう?このセリフにちょっとだけ胸がチクリとするようになったのは。
そのあとに「え、もしかして妊娠したの?」と言う質問が当たり前に浮かんでくるようになったのは。
居酒屋に入ると、お互いの近況報告よりも先に「とりあえずビール」をしてしまうせいで、
妊娠報告をノンアルビールによって知る羽目になる。
もちろん、もちろん嬉しいことなのだ。
友達が新しい命を授かると言うことは、世界でいちばん尊いことだと言ってもいい。だけど。
35歳を過ぎてから、その報告を受ける時には
ほんの3秒だけ、心の準備が必要になってしまったのだ。
その理由については考えないようにしてきた。
私の中の、薄黒いドロっとした形のないものが溢れ出てきてしまいそうだったから。
先日、高校時代の仲間から妊娠の報告を受けた。
いつも集まる仲間は7人。
そのうち、独身なのは結構前から私だけだったけど、とうとう私以外の全員がママになったのだ。
もちろん子供を授かるまでに、色々な苦労があったことも知っている。
周りからのプレッシャーと闘っていたことも知っている。
命の尊さを、身を持って実感していたことも。
隣で見てきたからこそ、心から、本当に嬉しかった。
でも、ずっと気づかないふりをしていた、あの「薄黒くてドロっとした形のないもの」が
いよいよ私の目の前に姿を現したのだ。
「あぁ、とうとう私だけか。」
私は認めた。その形のないものは、私の中の嫉妬、寂しさ、後悔、不安であることを。
友人達は立派に母親になって、子供を育て、社会に貢献している。
…私は?
私はどんな価値を生み出しているのか?何に貢献できているのか?
自分のために働いて、自分の好きなことだけして、それなりに自由に過ごしてはいるけれど。
誰かに必要とされて、誰かのために生きている実感はあまりにもない。
友達と比べて私の存在意義は劣っているのではないか、と卑屈になってしまう。
人間誰しも一人では生きていけないはずじゃない?
どうして私は一人で生きているような気がしているんだろう。
”自分自身”と結婚することにした、キャリーがお手本
海外の人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」。
その中で、印象に残っているのは主人公のキャリーが、私は自分自身と結婚します、と宣言し
マウントをとってくるような友人から結婚祝いに靴をプレゼントしてもらうシーン。
結婚というものが、神に対して、いつ・いかなる時も愛することを誓うものであるのなら、
私もキャリーのようにここに宣言したい。
私は、健やかな時も病める時も私自身を愛することを誓います。
よく考えたらおかしな話だ。
誰しも、他人への愛は堂々と宣言するのに自分への愛を宣言する人はいない。
私の一番の味方で、理解者で、いつどんな時もそばにいる存在。それが自分。
私の存在意義を感じられない時も、友人に嫉妬をしている時も。
ドロっとした黒いものが溢れてきたって、私は私を愛したい。
私は私が喜ぶもの・ことを充分に知っているし、私のことを幸せにできる。
大切な友人が幸せだったら、私も幸せだってことも本当は分かっている。
愛する誰かと人生を共にすることを諦めたって話ではない。
まずは愛する自分の人生を一歩ずつ歩んでいくということだ。